山田 貴大のプロフィール

山田 貴大

プロフィール(略歴)

1988年滋賀県生まれ。関西大学在学中に6ヶ月のセブ留学を経験。在学中(2012年)に株式会社グローバルリソースマネジメントを設立、代表取締役に就任。

留学支援サービス「セブ島留学センター」「カナダコープ留学センター」の運営者。

業界歴 12年間(フィリピン留学・セブ島留学・カナダ留学)
資格 RCA海外留学アドバイザー / 損害保険募集人 / フィリピン・トラベルマイスター2021(フィリピン観光省)
メディア掲載 TBS、日本経済新聞、大阪日日新聞 等
出身地 滋賀県
出身大学 関西大学 経済学部
好きな本 運命を拓く(中村天風)
連絡先 yamada@global-rm.co.jp

フィリピン・セブ島留学との関わり

私が初めてフィリピン・セブ島に訪れたのが「2011年5月」のことです。当時、大学の友人からフィリピン留学のことを聞き、休学を決意、セブ島へ半年間留学しました。

初の海外渡航となったフィリピンは、多くの気付きを与えてくれました。とくにフィリピン人の家族に対する価値観は、片親に育てられた自分にとって忘れがたい学びです。

帰国後もセブ島と関わり続けたいという想いから会社を創業。その中の事業として「セブ島留学センター」を立ち上げました。

日本経済新聞(2013年8月27日付)
写真:創業当時、学生起業家として初めて取り上げていただいた日本経済新聞(2013年8月27日付)

あれから早12年、会社としては13期目を迎えますが、有難いことにこれまでの相談件数は万件を超え、サービス利用者としても8,000名以上の方のお役に立つことができました。

フィリピンと日本を往復する生活を続けており、セブ島留学の専門家を目指すべく、フィリピン・セブ島について知識を日々アップデートしています。

セブ島は自分にとっての「第二の故郷」です。

セブ島のボランティア活動での一枚
写真:当時22歳、セブ島のボランティア活動での一枚
元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二さんがご来社された時の一枚
写真:元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二さんがご来社された時の一枚。お子さんがニュージーランド留学を経験。
元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二さんがご来社された時の一枚
写真:6歳の息子。今年は親目線を活かした「親子留学」も頑張っていきます!
セブ島留学センターの営業チーム。2024年2月撮影
写真:セブ島留学センターの営業チーム。2024年2月撮影

沿革

  • 2012年8月京都府京都市にて創業
  • 2012年8月フィリピン留学の支援事業(セブ島留学センター)を開始
  • 2016年2月損害保険代理業を開始
  • 2018年1月海外WiFiレンタルサービス事業を開始(2020年1月終了)
  • 2019年11月東京都渋谷区に本店移転
  • 2020年3月新型コロナウイルスの影響でフィリピン留学が停止
  • 2020年5月オンライン留学のサービス開始
  • 2021年7月カナダ海外インターン専門事業(カナダコープ留学センター)を開始
  • 2022年4月フィリピン留学が再開
  • 2024年4月セブ島留学センター利用者数 8,000名

関連リンク

会社案内 スタッフ紹介 オフィス紹介 セブ島留学センターについて ICEF 団体加盟・認定

創業の背景

今すぐ、日本に帰りたい!!

2011年5月、私はフィリピン・セブ島にある語学学校「BaLI」に向かっていました。

故郷の滋賀県から関西空港へ向かい、フィリピン航空のカウンターでチェックインを済ませます。

当時22歳。初めて海外留学へ訪れる私にとって、渡航は不安の連続でした。

案の定、嫌な予感は的中します。

セブ空港に降り立った後、スーツケースの回収場所を間違え、出迎えの集合時刻から1時間も遅刻してしまったのです。

シャトルバスは1台しか来ないため、同じ飛行機に乗ってきた同期の留学生に迷惑をかけてしまいました。初日らしいスタートでした。

申し訳なさを感じながら乗り込んだシャトルバスの道中は暗く、オレンジ色の街灯だけが道を照らします。30分ばかりの道のりも、2時間くらいかかったような気がしました。

30分後に到着したのは、築50年のアパートのような建物でした。道中でズタボロになりながらも辿り着いた学校は、さらにズタボロだったのです。

「こんなところに半年は住めない!今すぐ日本に帰りたい!!」当時の私が感じたセブ島留学の最初の感想です。

セブ留学の黎明期

6ヶ月を過ごした学校の講師やスタッフはとても親切で、担当いただいた先生方には、今でも感謝しています。

しかし当時の語学学校は、すべてが未発展でした。提供している食事やサービス、使っている教材から校内管理まで、日本人が満足する品質には至っていませんでした。

2011年のセブ島には、今のような素晴らしい学校は数えるほどだったように思います。台湾やベトナム、中国からの留学生はほぼゼロ、日本人から来ている留学生も少数で、ほとんどが韓国からの留学生でした。

いま振り返ると、まさに「セブ留学の黎明期」のような感じです。

今でこそアジアで広がりを見せるセブ留学ですが、当時は日本人向けの情報はほとんどなく、良い学校を見つけることも困難でした。

私自身「学校選び」に失敗した一人でした。

仲間に恵まれ、セブ島留学センターの開業へ

学校選びに失敗した私を救ってくれたのは、現地で出会った仲間たちでした。彼らと過ごすセブ島での生活はとても新鮮で、日本で培ってきた価値観はガラッと変わりました。

これから東南アジアの時代が来て、セブ留学は日本で流行る。22歳なりの根拠のない自信でした。

その後、日本に帰国した私はセブ島を専門とした留学会社を立ち上げることになります。それが今の「セブ島留学センター」です。

留学は私の人生を大きく変えるものになりましたが、依然と多くの人が学校選びに失敗していました。

自分の失敗経験が誰かの役に立つと思えたのです。

誰にも相手にされない空白の一年間

2012年の夏、私はフィリピンに戻り40校ほどの学校を訪問しました。1ヶ月の滞在を経て学校を回り切りましたが、相手にしてくれたのは人気のない学校だけでした。経営が順調な学校は、若者の戯言を聞く必要もなかったのです。

それでも一部の学校とお付き合いさせていただき、何とかスタートを切れたのは2012年の秋のことです。

しかし現実は甘くありません。一向に届かないメール、鳴らない電話、誰からも相手にされない日々が続きました。

今振り返ると、私自身のサラリーマン経験がなかったということも大きな問題でした。営業どころか、仕事の基本すら知らないような状態だったのです。

初めてネットで「メール 書き方」と検索してから約1年間、セブ島留学センターは誰にも認知されず、気付けば、私は人生のドン底に陥っていました。

同期たちが次々と活躍していく中、私はアルバイトを掛け持ちしながら生活していました。お金が無さすぎて、コンビニの廃棄弁当を当てにする始末。

自分の力では何も進めることができず、何度も諦めようと思いました。

しかし一年が経過しそうな頃、それまで制作に励んでいたホームページから、1件の相談が入ってきたのです。「学校選びに悩んでいるので、アドバイスが欲しい」という内容でした。

私はこれまでの経験のすべてを伝えました。ここで諦めたら、すべてが終わるような気もしていました。

何回もやり取りを重ね、その方はセブ島留学センターの初めてのお客様となったのです。

業界ナンバーワンの専門会社を目指して

それから12年が経ちましたが、コロナ禍も経て、今では年間2,000名以上の方にご利用いただける専門会社となりました。私が大切にしてきた「失敗しないセブ島留学」は、社員たちにも継承し、今はチームサポートに努めています。

今のセブ島留学は、昔とは逆の情報過多になっています。いろいろな口コミが錯乱し、何を選べば良いか分かりません。私が留学していた頃を考えると、良い学校がたくさんあるのに、その学校と出会えない人もたくさんいます。

セブ島留学センターの使命は、留学の選択肢を増やし、本当に満足いただける学校を提案することです。その使命を果たすため、私たちはチーム教育と良質なサービス体制の確立を目指して、日々改善を重ねています。

これから留学する人に向けて

私は学校選びに失敗しましたが、留学を通じて人生が大きく変わりました。

まだ自分たちが成功したとは思ってませんが、少なくとも年間2,000名以上のお客様のお役に立てているという事実があります。

今日に至るまで挑戦と失敗を繰り返し、生きる力を身に付けることもできました。

すべては2011年に初めて海外へ踏み出したこと。学生起業という舞台に挑んだこと。「小さな勇気」と「成功するまで諦めない力」があっての今だと思えています。

キャリアを身につけるために、誰もが英語を勉強する時代。しかしそれ以上に、自分の人生を大きく変えるのは「挑戦」です。英語はそのためのツールに過ぎません。

今から留学を行く人は、海外で何か一つ挑戦をしてみてください。人生の大勝負のような挑戦ではなく、小さな挑戦でもいいのです。

私たちセブ島留学センターも、お客様の挑戦をもっとサポートできるよう、私たちの挑戦を続けていきます。

セブ島留学センター 代表 山田 貴大